1歳半をすぎたころ、子どもに不思議なことが起きます。それまでぽつり、ぽつりと増えていた単語が、ある時期を境にせきを切ったように増えはじめる。きのう覚えた「わんわん」が、きょうは「おおきい わんわん」になっている。研究者が「語彙爆発」と呼ぶ時期です。
だれも文法書を渡していません。発音記号も教えていません。それなのに、数年もすれば立派におしゃべりが成立する。当たり前すぎて見過ごしがちですが、これはとんでもないことです。
脳科学とやさしいAI第3弾シリーズの最終回は、この「ことばの学び」がテーマです。桁違いのデータで学ぶAIと並べたとき、人の学びの何がすごいのかが見えてきます。
子どもは、驚くほど少ない材料で話せるようになる
子どもが耳にすることばの量は、研究によって幅はあるものの、1年でおよそ200万〜700万語ほどと見積もられています。積み上げても、13歳までに触れる語はせいぜい1億語程度。しかもその多くは聞き流しで、教科書のように整った文ばかりでもありません。
それだけの材料で、子どもは発音を聞き分け、単語を切り出し、文法の規則を自分で見つけ出します。「おいしくない」から規則を推理して「好きくない」「きれいくない」と言ってしまうあの間違いは、丸暗記ではなく規則を自分で組み立てている証拠です。教わっていない規則を、聞いたことばから発明しているのです。
なぜこんな効率のよい学びができるのか。ヒントは、子どもの学びがことばだけで完結していないことにあります。「りんご」という音は、赤くて、つるつるして、甘い匂いのするあの物体と一緒にやってきます。養育者と同じものを見つめる「共同注意」の時間に、ことばと世界が結びついていく。身体で世界に触れながら、意味の裏付けを取り続けているのです。
AIは15兆語で学ぶ。それでも子どもに届かないもの
一方、いまの大規模言語モデル(LLM)はどうか。たとえばMeta社が2024年に公開したLlama 3は、15兆トークンを超えるテキストで訓練されたと公表されています(トークンは、おおむね単語に近い単位です)。人間の一生分どころか、1億語の15万倍。毎日1,000万語を浴び続けても4,000年かかる量です。
この差に注目した研究者たちが2023年に始めたのが「BabyLM Challenge」という国際コンペです。使ってよい学習データを、子どもが触れる量に合わせて1億語以下に制限し、その範囲でどれだけ賢い言語モデルを作れるかを競います。データを増やせば性能が上がることはもう分かった、では人間の子ども並みの効率に近づけるか、という問いの立て方が面白いところです。
結果はどうか。工夫次第で小さなデータでも思った以上に学べることが示される一方、人間の子どもの効率には遠く及ばない、というのが現在地です。この事実は、逆向きの光を当ててくれます。つまり、すごいのはデータをたくさん読んだAIではなく、1億語で話せるようになる子どものほうなのです。
効率の差が教えてくれること
なぜこれほど差がつくのか、決定版の答えはまだありません。生まれつきことばに向いた仕組みが脳にあるという見方も、身体と対話が決定的だという見方もあります。ただ、子どもの学びに必ずついてくるものを挙げることはできます。世界に触れる身体、応えてくれる相手、そして「伝えたい」という動機です。
子どもは語彙を増やすために話すのではありません。抱っこしてほしくて、見つけたものを知らせたくて声を出し、それが届いた喜びが次のことばを連れてきます。学びの燃料が、データではなく関係の中にある。ここが、テキストだけを大量に読む学びとの一番深い違いだと私たちは考えています。
だからAIとの付き合いでも、順番を間違えないことが大切になります。AIは、たくさん読んだ分だけ、ことばの形を整えるのが得意です。その力は借りればいい。けれど、ことばに意味と重さを与えるのは、世界に触れてきた人の経験のほうです。子どもの学びが教えてくれるこの順番は、AIがどれだけ賢くなっても変わらないはずです。
まとめ
- 子どもが13歳までに触れることばはせいぜい1億語ほど。それでも身体と対話を通じて、規則を自分で見つけながら話せるようになる
- Llama 3は15兆トークン超で学ぶ。子ども並みの1億語に制限したBabyLM Challengeの挑戦は、人間の学びの効率が桁外れであることを裏づけた
- 子どもの学びの燃料は「伝えたい」という動機と、応えてくれる相手。ことばに意味を与えるのは経験であり、AIの力はその上で借りるのが順番
シリーズを終えて
第3弾の3回では、錯視(予測する脳)、直感と熟考(2つの思考モード)、言語習得(学びの効率)という視点から、AIを眺めてきました。
3回に共通していたのは、脳の「足りなさ」が弱点ではなかったことです。不完全な入力だから予測で補い、処理しきれないから直感で近道し、1億語しか聞けないから身体と関係で学ぶ。制約こそが、人の知性のかたちを作っていました。潤沢なデータと計算で進むAIと、制約の中で磨かれた脳。両者は似てきたところほど、根っこの違いがよく見えます。
その違いに正直でいることが、AIに何を任せ、何を人の手に残すかを考える出発点になります。シリーズは今回で一区切りですが、脳とAIの話はこれからも折にふれて書いていきます。
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やさしいAI研究所ブログ|脳科学とやさしいAI 第3弾シリーズ(全3回)第3回・完
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アイキャッチ・図版は、特記のない限りAIで生成した画像を画像編集ソフトで加工して制作しています。人物・イベントの写真は実際に撮影したものです。